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ラウンジにパソコンを設置しました。

ラウンジのパソコン

ビジネスホテル等ではロビーあたりにパソコンを設置しまたお部屋でもインターネットを
使える環境を整えております。

カントリーイン ザ ホワイトマリーンもお客様が調べもの等にお使いいただける
ウインドウ8を搭載したパソコンをラウンジに設置しました。

またWi-Fiに対応したお客様がお持ちの機器でしたら私どものラウンジ、ダイニング等でも
ご使用可能な環境となっております。
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真げたがおいしくなりました。

2013-02-07舌平目組写真
カントリーイン ザ ホワイトマリーンのお魚料理の香草風味オーブン焼きは鯛を.
使うことが多いのですが今時期あまり鯛が獲れないので真げた(このたりでは舌平目
のこと〔げた〕と言う)を使います。

上は海の底に接している裏側の部分でお魚屋ではだいたい裏側を上にして
売っています。

また家庭ではげたの皮を取るのは難しいのでスーパー等では皮を取り頭としっぽの
部分を除いて売っております。

右下は調理済みの写真です。身は白身でわりと繊細な味でおいしい魚です。

牡蠣を獲りに・・・・・拾いに行きました。

2013-02-3牡蠣の組写真完成
今日はお天気もよく暖かなので山歩きの友人と小豆島の南東の海岸へ牡蠣を獲りに行きました。

車を降り下り道を10分、海岸のごろ石場を20分ほど歩き目的地へ。

眺めもよく海の水も澄んできれいなところです。

前の島の周りにはたぶん鯛ねらいの遊漁船がいっぱいいる。潮も満ちこみの2~3分。

前の島までは浅瀬になっており干潮時には海の底が
見えるぐらいですの潮の流れが速く秋にはルアーで青物や鱸ねらいで釣り人が訪れる場所。

私も昔、鱸ねらいで東の空が白み始める前来た海岸。
その時の釣果は私はボウズ、連れは1匹。

牡蠣は石に付いているのではと思い、鉄製のヘラを用意して行きましたが牡蠣はほとんど
波打ち際に転がっており拾うという表現が適切。

一時間余りで大きなのを二人で20キロぐらい拾うことができました。

牡蠣をリュックに入れ、来た道を何度も休みながら車まで。
重かった。

帰途につき蒸して食すると大味で味は今一でした。

リフレッシュできた一日でした。



瀬戸内国際芸術祭 小豆島会場の一つ迷路の町の組写真

迷路の町組写真

迷路の町の組写真です。左上が江戸時代の採石奉行の陣屋の正面写真です。

左下が迷路の町の中心となる小豆島霊場五十八番札所、真言宗西光寺の正面。

境内には推定樹齢250年以上の天然記念物に指定されている雌木のイチョウがあります。

右上は小豆島で晩年を過ごした自由律俳人尾崎放哉の『障子あけて置く海も暮れ切る』の句碑。

右下は尾崎放哉の遺品等を展示している尾崎放哉記念館です。

瀬戸内国際芸術祭 ホワイトマリーン通信NO1 迷路の町


迷路の町
本日、瀬戸内国際芸術祭の小豆島会場の一つとなる迷路の町を
ボランティアガイドのご案内をいただき散策をしてきました。

延元4年(1339年)備前児島の勇将、佐々木信胤は軍勢とともに
小豆島へ押し入り、星ケ城に陣を構えました。

しかし、その8年後には北朝方の四国の総大将・細川頼春指示のもとに
細川氏が大軍を率いて小豆島に攻めよせ南北両朝の軍勢が海上と陸上とで、
総力を挙げての血斗の地となったのです。

今なお、土庄町(とのしょうちょう)本町に残る複雑な迷路のような入り組んだ路地は、
当時の攻防戦に備えた路地の形成を成し、全国に現存する数少ない迷路の一つとなったとのこと。

瀬戸内国際芸術祭の期間中、建物の2階どおしをつなぎながら、
本格的な迷路ができていくそうです。

この画像は秀吉時代加藤清正公、徳川幕府になって加藤忠広公が
採石奉行として止宿した陣屋の土塀です。

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